皆さんは「夢」をお持ちでしょうか?
といっても「大志」というほどのものではなく、ちょっとした「キラキラ」した夢です。
私の20代のころの夢は「アメリカの映画館でポップコーンを頬張りながら映画を見る」でした。
その夢は20代の終わりにかないました。
見た映画は何だったかな、、、「シュレック」だったかな。いや、違うなあ、、、何を見たかは忘れましたが、当時日本にはまだ少なかったシネコンで英語も全然わからずにわくわくして見た覚えがあります。
30代の夢は「子供とキャッチボールをする」でした。
いつか子供が生まれたら、親にしてもらったようにわが子にキャッチボールをしてあげたい、それが夢でした。それに「フィールド・オブ・ドリームス」や「ナチュラル」で、親子でキャッチボールするシーンのすばらしいこと!
その夢がこの間「ほぼ」かないました!
「ほぼ」というのは、キャッチボールの相手が知り合いの子供だったからです(^^;
晴れた昼下がりの公園でその子と、あの夢に見た映画のシーンを疑似体験です。キャッチボールなんて何年ぶりだろう・・・ピュッと手首のスナップを利かせて・・・
その子が少年野球をやっていて結構いい球を投げていたので、こちらも力を入れて投げてしまいます。そのうちに大暴投・・・大人気なく子供を走らせてしまいました。
それでもとても楽しい時間をすごしました。その子も気に入ってくれたようで、なついてくれました。
さて、40代の夢は何でしょうね?ゆっくり心の中で熟成させますね(^^
3年前の冬に入院していました。手術をして、3か月間病院にいました。
手術後には体のあちこちにチューブがついていました。絶食期間も合計ひと月ほどありました。
その3か月の間、社長がいなくても会社は変わらず回っていました。自分のちっぽけさを認識し、一生懸命働いてくれる社内のみなさんに感謝し、この人たちのために良い会社にしようと決意を新たにしたのはこのころです。
さて、その病院の一階にはスタバ(スターバックス)が入ってました。まだ刺激物が禁止されていてコーヒーを飲めない頃に、点滴台を腕につけて通ると、実にいい香りがします。
冬の寒さを忘れてくれる、湯気の立つような温かいにおいです。
まるでそれは生きている喜びの匂い。それは「希望」の香りでした。
いつかは飲めるようになりたい。飲めるようになったら毎日飲みたい。
その「香り」の前を通るのがいつしか日課になりました。
しばらくして回復してきて、飲めるようになった時に一番に飲んでみました。
まだ牛乳は駄目だったので「カフェラテ」でなく、豆乳入りの「ソイラテ」にしてもらいました。
実際飲んでみたらたいしたことはありません。普通のおいしいコーヒーでした。
それでも幸せな気持ちだったのを覚えています。
それから3年がたち、今はいつでも飲めます。
今もコーヒーはよく飲みます。街中で、待ち合わせで、商談で。
さすがに毎日ではありませんが。
日常に馴れてしまって幸せを忘れそうになるから、カフェラテは真夏でもときどきホットで飲みます。
一昨日から「機械要素技術展」に説明員として参加するため、東京ビッグサイトの近くのホテルに泊まっています。
本来ならこの場を借りてもっと機械要素展の宣伝をするところですが、ご多分に漏れず私も連日ワールドカップにはまっております。今ちょうど日本代表が決勝トーナメント進出を決めたところです。私自身ひとごとには思えない部分があるので、今回はワールドカップ、特に日本代表の話をします。
日本代表は前回ドイツのワールドカップで期待されながら1分け2敗でグループリーグ敗退と結果を出せず、しかも今回「ベスト4」なんて途方もない目標を掲げてしまいました。誰も信じていないのに「目標を達成するため」と、将来を嘱望される選手・Jリーグで活躍している選手をあえて選ばず、目先の勝利を優先するためにベテランぞろいで平均年齢は上がり、その選手たちは怪我を抱え調子が上がらず。それなのに本番前の試合では無様な負け方をして、一年半やってきた戦術は破綻し、付け焼刃の戦術をころころ試すようになり。チームの雰囲気は悪くなり、司令官は「ぶれる」と酷評され、絶対的な支柱だった選手は衰えが目立つようになり。正直グループリーグ突破を何人の人が予想したでしょう。でも、マスコミはあおってあおって「運命の一戦!」。プレッシャーはどれほど大きいことでしょうか。
そんな状況から、グループリーグ突破までこぎつけられたのはなぜでしょうか。
自分たちが「弱い・へたくそ」だと自覚するところからチームは変わっていったのかもしれません。
正直に言って、選手の技量が急に変わるわけはなく、しかも背負っているものはアフリカの選手や南米の選手の方がよっぽど大きいわけで、戦力を考えたら1勝もできるかどうか、いや1点取れるかどうかだったでしょう。
それでもランキング45位のチームが19位のチームに勝ち、4位のチームに善戦し、3戦目でこれほど躍動したのは、「人」の意識が変わったから、弱いからこそ「団結力」が強くなったからなのでしょう。
決してまわりのせいにせず、自分たちの立ち位置を自覚し、仲間を信じてできることをやっているから、前評判を覆す戦いをしているのでしょう。まさに堅守速攻、シンプルなプレーと恐れない心で前を向いて進んでいる姿は、確実に世界を驚かせています。
日本代表を「ひとごととは思えない」と言いましたが、それは私たちも小さいながら「世界に通用する」ゴムパッキン・ゴムシールの企業となることを目指しているからです。これはまるで「ベスト4」を目標にした日本代表のようです。なにが世界水準なのか、どの水準まで品質・コストを追求すればよいのか、周りから見たら笑われるかもしれません。しかし私たちは本気で目指しています。日本代表がハードワークと連動性で世界の競合に対峙したように、私たちは80人のサイズにあった方法で「ゴムのことなら高石工業」と世界中で言って貰えるようにしたいと思っています。
そのためにスタッフ一人一人の底上げは欠かせません。全員参加の気づきと積極的行動、お客様のかゆいところに手が届く提案とそれを実現する品質保証体制・研究開発体制、そしてそれらの基礎となるコミュニケーション。「対話でチームの一体感をもつこと」「勇気を持って一歩踏み出すこと」の大切さを今の日本代表は身をもって訴えているように思います。
もともと枕が替わると寝つきが悪い私ですが、早朝の日本-デンマーク戦は寝ずにテレビにかじりついていました。この試合がどのような結果であれ、日本の選手たちの健闘はたたえたいと思っていました。そして今は歓喜の時を迎え、静かな感動に包まれています。
次の一戦も強敵ですが、逃げず恐れず、自分たちを信じて日本代表にしかできないサッカーを見せてくれると思います。
昔一緒にホームステイをした、Nさんと10年ぶりの再会をしました。
彼は2週間の休暇をとってスイスから日本まできました。
もともと日本の文化が好きで、日本に来るのが夢だったそうです。
会ったのは京都です。建仁寺・清水寺・八坂神社・・・
祇園の辻利に連れて行ってあげて、先斗町で晩御飯を食べました。
彼はとても喜んでくれました。
彼が喜んでくれたのが わたしの喜びです。
10年のうちに私は英語が下手になりました
それでも単語をつなげて話をしました。
久しぶりだね、どうしてたの。
仕事はどうしてるの。
休みをよく取れたね。
日本に来て見て感想は?一番好きなところはどこ?
そう、それはよかったね、楽しんでるね
たわいもない話で時がすぎ、いまはそれが精いっぱい。それで十分。それで十分。
お互い太ったね、年をとったね、彼女はいるの?
10年後もまた会いたいね 今度はこちらから行くよ。お互い元気でね。
言っちゃ何ですが、かれは変なスイス人です。
昔はワガママ放題でよく腹を立てたり喧嘩をしたり。
いまこうやって和やかな時間を持てるのは、彼が変わったからかな、私が変わったからかな・・・
アイスランドの噴火が大変だけれど無事に帰ってね
帰れなかったら、いつでもウチに泊まって下さい(^_^)
追伸
外国人旅行者用の簡易宿が人気ですね。ユースホステルみたいなものかな。
彼が泊まっていた宿は外観がキレイ、カフェがおしゃれ(^^
本日満室の貼り紙がありました。
宿の人も旅行者の要望を嫌がらずにあれこれ聞いてやっているらしい。これぞサービスの原点です。
実家のご近所の「おばさん」が亡くなりました。
「おばさん」は、私の祖父の妻(私の祖母)の弟の奥さんで、遠縁のおばさん(大おばさん?)にあたります。ご主人(大伯父さん)はわが社の二代目社長で、会社の草創期ともとても縁の深いお方です。
でも私にとっては「お菓子をくれるおばさん」でした。
「おばさん」は私の実家の近くに住んでいました。私の小学校の通学路の途中にその家はあり、よく下校時に立ち寄ってトイレを借りたものです。その時に、毎回ジュースを飲ませてもらったり、チョコレートや飴をもらったり。決してお菓子が目当てではありませんが、よく立ち寄りました。
タバコが好きで、「~だわねえ」と少し蓮っ葉なものの言い方をする、素敵なおばさんでした。てっきり東京の出身だと思っていたのですが、実は広島出身で、その昔原爆被災もしたんだそうです。大人になるまでそんなこと、ちっとも知りませんでした。
お通夜とお葬式の時間に用事があり参列できないので、直接お宅に伺いました。80代半ばだから大往生と言っていいものです。長いこと入退院を繰り返して、ずいぶん痩せてしまっていました。
でも私の中の面影は私が小学校の時のまま。
久しぶりに訪れた家の中はリフォームされていました。よく借りた便所も広くなって、和式の便所はウォシュレットに変わっていました。が、居間は昔のままの面影でした。ご家族の方も快く迎えてくださり、昔話にひと時花が咲きました。
ゆっくり休んでください・・・そう祈って帰りました。
先日、20数年ぶりに高校の同窓会に参加しました。
高校卒業以来はじめて会う人も多かったので、一目では正直分からない人だらけでした。「ええと、誰でしたっけ?」なんてぎこちない会話から始まりました。しかし二言三言、言葉を交わして笑顔がほころぶと、遥かな記憶がすぐによみがえり、お互い一気に20数年前に戻りました。
みんな年輪を重ね年相応に貫禄がついて、正直街ですれ違っても分かりません。60人ほど集まった同級生の職業や立場は大きく違えども、話せばみんな18歳。共通の時間を過ごしたことがこんなにも豊かな感情を呼び起こすことに、正直びっくりしました。
魂の柔らかな時期に出会ったたくさんのことは、私のアイデンティティの原風景になっていると実感しました。
「人生で必要な知恵は、すべて幼稚園の砂場で学んだ」という名エッセイ本がありますが、さしずめ私の場合は、「人生で大切なことはすべて高校の中庭で学んだ」ということでしょうか。
あの時期にこのような個性豊かな人たちと「同じ釜の飯を食べた」ことは、本当に私の財産というべき経験です。
サッカーJ2のセレッソ大阪のことを書きます。
5年前、この試合を勝てばJ1で優勝という時、ロスタイムで優勝を逃がしたことがありました。
試合が終わって選手みんなが立ち上がれずショックを受けている中、
観客席から聞こえてきた歌が「どこまでも行こう」でした。
「どこまでも行こう 道はきびしくとも 口笛を吹きながら 走って行こう」
すごくすごく、いい歌でした。
その翌年、茨の道が待っていました。セレッソはJ2に降格しました。
それから3年、とうとうセレッソ大阪はJ1復帰を果たしました。
選手はぐっと若く、世代交代しました。ワクワクするはつらつとしたプレーを見せてくれる、いいチームに生まれ変わりました。
「3年かかったけど、やっぱりセレッソが好き」
観客席の垂れ幕にはそう書いてありました。2万人の観客の気持ちを代弁していました。
厳しい道でも、険しい道でも、あきらめなければいつかは歓喜の瞬間が待っているのですね。
サポーターひとりひとりの顔を見ながらそう思いました。
外はちょっと寒かったけれど、とてもいい気持ちで帰路につけました。
あのイチローが好きな歌の一つに石川さゆりさんの「天城越え」があって、打席に入るときのテーマソングになっているとか、それが縁で石川さゆりさんがセーフコ・フィールドまで見に行ったとかいう話が少し前にありました。
でも今回取り上げたいのは、また別の曲です。
もう何年も前に、「私の好きな歌ベスト3」アンケートをイチローが答えていました。
そのうちの一曲が、アニメ「キャプテン」の主題歌でした。
私も子供のころによくこのアニメの再放送で見ていましたが(歳がバレますね)、その頃から好きな歌でした。
でも、この歌詞の深さに本当に気がついたのは、大人になってずいぶん経った最近のことです。
「答えよりもっと大事なことは、勇気だして自分を試すことだ」
本当にそうですね。この歌詞を考えた方は天才ですね。
今のような過去の経験則が通用しない、明日は右へ進むべきか左へ進むべきか分からない時代、先を見通す力がとても大事です。それに加えて信念を持って一歩踏み出す勇気がもっと大事なのかもしれません。
困ったときにはいつもこの歌詞を思い出すようにしています。
「困ったこと」といっても、小さなことが多いんですけれども(^^;
私のバイブルはドラマの「王様のレストラン」です。たしか1995年の連続ドラマで、脚本は三谷幸喜さん。松本幸四郎さんや山口智子さんが出てくるいいドラマです。
社長になってどうしたらいいか分からないとき、悩んで夜も寝られないとき、何度も何度も繰り返し見ました。
寂れたレストランに伝説のギャルソンが現れ、バラバラだった社員たちの心が一つになり、店の名物メニューを作りだし、多くの困難を乗り越えて一流のレストランが実現する。そんなストーリーです。
「気づく」とは何か、「一流」とは何か、「プロ」とは何か、「仲間」とは何か、「役割」とは何か・・・多くのことを学びました。
私の会社はレストランじゃないけれど、ひとりひとりが誇りに気づき、夢を持って仕事をし成長して、いつかいろんな意味で一流になる、そんな人が集まる一流の会社になってみせる、そう何度も心に誓ったものです。
そして今、まだまだではありますが、少しだけ「素晴らしい!」と言えるような会社になりつつあります。これから、何回も何回も「素晴らしい!」といえる瞬間を味わえるように頑張っていきます。
おじさんが本屋をやめました。
30年近く頑張ってきたのですが、寄る年波には勝てず、とうとう閉めました。
あれから一年。こないだ本屋から歩いて数分のところに住んでいる人に会いました。
そうしたら、
「おじさんの店、なくなって不便になったね。いつも親切にしてくれて、良かったのに残念やね」
といってくれました。
「人は死ぬ時に評価が決まる」といいますが、店を閉めたあとに感謝される人生は幸福です。
おじさんは一生を賭ける仕事を全うしたと言えるのではないでしょうか。
あ、まだ元気に生きてますからね、そのおじさん(^^